むち打ち症 ―我が闘争の記録―

               宇都宮市東宿郷6-3-11

  田村整形外科院長 田村壽將

はじめに

私が医師になった昭和40年代、当時勤務していた大学病院の整形外科の外来にはむち打ち症の患者さんが多数来院されていました。忙しい外来で有効な治療法がなく賠償問題も絡み長い診察時間を要するむち打ち症の患者さんの治療は難しい問題でした。医師はむち打ち症の発症の原因がわからず有効な治療法がないのにもかかわらず、患者さんと損害保険会社との双方から解決を迫られていました。私はこの情景を目の当たりにして、外傷によって引き起こされる症状ですから医師が治療によって解決を図るのは当然でありこの問題を必ず解決することを決意しました。

むち打ち症に対する当時の対応

1928年に外国で初めてむち打ち症の症例が発表され、わが国では1958年に報告があります。その後モータリゼーションの発達によりむち打ち症の患者は急速に増加し、昭和30-40年代にマスコミが新聞等で、不治の病、難病として報告し、また賠償問題も絡むために医学会でもその対応を迫られました。しかし当時の検査では、むち打ち症の原因となる異常所見は捕らえられませんでした。1968年に日本整形外科学会(岡山市)は「鞭うち損傷」をシンポジウムに取り上げましたが、結論としては「むち打ち症は単なる首の外傷で神経機能が多少狂っているに過ぎない。むち打ち症は早期治療すれば治る」というものでした。しかしこの結論に一部の医師は納得しませんでした。

被害者と損害保険会社の関係

むち打ち症を考えるとき、被害者である患者と、加害者が入る任意保険の損害保険会社とは金銭をめぐり相反する立場にあります。損害保険会社は民間企業の営利事業であり、一般の株式会社ですから利益を追求することを目的とします。交通事故で怪我した場合まず自賠責保険(強制保険)を使用しますが、自賠責保険の限度額を超えたとき始めて損害保険会社の任意保険が使われます。そのため損害保険会社の支払いを回避するべく、自賠責保険によって担保される範囲のみに補償を抑え込む行動が行われます。このことがむち打ち症患者と損害保険会社との争いに発展します。

損害保険会社の支払い減額のための主張点

損害保険会社がスポンサーとなって多くの研究や調査が行われていますが、これらは損害保険会社の支払いを減額することを目的にしています。主に損害保険会社が主張するのが(1)賠償神経症、(2)閾値理論、です。賠償神経症とは「むち打ち症患者には愁訴以外の医学的に客観的な所見、すなわち他覚的所見がないか乏しいのに病状が長引いているのは賠償金を吊り上げるための神経症である」というものです。閾値理論とは、「追突される車の衝撃の程度を車についた傷から想定し、設定されたある一定の閾値以下ではむち打ち症にはならないというものです。」損害保険会社はこの理論を基にして、治療している医師に事故車の損傷程度を写した写真を送りつけ、軽度な外傷であり短期間で治るはずであると主張しました。

私はこの2つの考えに対して敢然と立ち向かいこれらを粉砕しましたがその内容は後半で述べます。

日本賠償医学会の設立

ついには、1982年に日本賠償医学会が設立されました。この構成は法医学者と弁護士と保険会社からなり臨床に携わる医師は除外されました。その目的は、むち打ち損傷の賠償面からの解決をめざすとし、結論は鞭打ち損傷の消滅にありました。むち打ち症の患者と損害保険会社との争いでは、法医学の立場から積極的にむち打ち症の存在を否定する鑑定書を提出しました。また当時「むち打ち症」の用語を使用すると世間に混乱と恐怖を増大させるとしてマスコミには「むち打ち症」を使用することを禁止しました。当時の現代用語辞典には「むち打ち症」の字句は消失しています。その後マスコミによる医師叩きが起こりました。これはマスコミがわが国にむち打ち症の病状を報告したにも関わらず、単に蓋をして問題の解決を図ろうとする医師への抗議であったと思います。

むち打ち症の特異的症状

むち打ち症の中でも最も難治とされているバレー・リュー症候群の症状は、頭痛や耳鳴り、めまい、目の症状に加えて、常に精神的に不安定でかつイライラしており、顔の表情が乏しくかつ怒ったような表情をしています。また少しの騒音にも耐えられず外を歩くことすらできない場合もあります。これらは疼痛やめまい等の激痛や不安感から起こる心的現象でむち打ち症が治ると解消する問題ですが、その当時治すことができなかったために精神的な問題が大きくクローズアップされ、神経症や詐病、被害者意識等の人格的な問題であるとされる傾向にありました。このことを損害保険会社は外傷による症状と切り離して、賠償を免責ないしは軽減する口実としました。原因がわからなかったこの時期に症状があることは誰にも明らかですが、医師は全力を挙げてむち打ち症とその後に引き起こされる精神状態の原因を明らかにしようとしましたが残念ながら当時はできませんでした。

学会発表と論文掲載 

1.日本整形外科学会発表

そのような厳しい状況の中、私は当時民間病院に勤めていました。後にむち打ち症解明の大きな手がかりとなる脊髄造影に使われる造影剤は当時油性造影剤が使われていましたが、後遺症が多数報告されたため新しく開発された水溶性造影剤に全面的に変更されました。しかし水溶性造影剤は安全ですが使い方が難しく頚部の臨床的診断を行える造影像を得ることは世界で困難な問題でした。水溶性造影剤の特徴は油性に比べて粘調性が少ないため理論上は油性では造影できなかった微細な部分まで造影できます。そこで私は頚部の撮影方法を工夫しそれまで撮影できなかった部分を詳細に造影することに世界で初めて成功しました。この方法は、USAから発刊されている「Spine」という医学雑誌に掲載されました。この方法でむち打ち症の患者さんの頚部を造影したところ、いままで見たことがない異常所見を世界で初めて捉えました。これを調べたところ頚椎椎間板ヘルニアの外側型によることがわかりました。そこで手術を行い椎間板ヘルニアによる頚椎神経根への圧迫を確認するとともに年余にわたって悩んできたむち打ち症の中でも最も難治である、バレー・リュー症候群の治療に成功しました。この結果を1985年に日本整形外科学会(岐阜)に「頸椎部アミパ−ク脊髄造影法(斜位像)からみたバレー・リュー候群の病態について」として報告し多くの関心を集めました。

2.学会発表後の反応

学会が終わり病院に戻って診療をしていたところ、入院患者さんに不穏な空気が流れ始めました。それは、交通事故によって入院している患者さんに首の手術は不必要な治療だから止めてすぐ退院しなさい、と言いふらしている損害保険会社に関係する人物がいるということでした。また当院で手術を受けて改善して退院した患者さんの家を訪れ、「あなたは不必要な手術を受けたのだから医師を相手に損害賠償の訴訟を起こしなさい」とそそのかしたとのことでした。患者さんは、私を信頼し、また病状もよく治っていたので何事もなく無事に収束しました。これらの行動は私が発表した内容が論文になる前に、研究を中断させようとした行動でした。このような不穏な動きを察知し論文に掲載することを急ぐとともにもうこの問題から絶対に手を引くことは許されないことを感じました。

3.論文掲載

日本整形外科学会で発表した内容は、翌年「整形外科」という医学雑誌に掲載されました。この掲載にはかなりの反発があったと、後に編集委員の先生が回顧録で述べておられました。そして論文掲載によってむち打ち症の治療に対しての直接的な妨害はできなくなりました。その年に再度日本整形外科学会に「バレー・リュー症候群における手術成績」として報告しました。その内容もその後「整形外科」に掲載されました。

4.国際学会発表

しかし海外の学術誌に載らないと認めないとする風潮により、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカの6カ国の国際的な学会誌であるThe Journal of Bone and Joint Surgery(JBJS)に投稿しました。日本の学会だけしか発表しておりませんでしたが、雑誌社は高い関心を示しリビュアー2名からのコメントを頂きました。それらに答える形で再度投稿しましたが、再びリビュアー2名のコメントが返されましたが採用されませんでした。やはり国際学会で報告する必要性を痛感し、整形外科では世界最大の学会であるSICOTに発表すべく、当時獨協医科大学の非常勤講師を務めていた関係もあり、1985年に獨協医科大学整形外科学教授がロンドンで開催されるこの学会に発表するので学会の下見をかねて同行しました。着々と準備を進め1988年にミュンヘンで開催されるSICOTに応募すべく抄録を学会に送付しました。当時SICOTの会員でもなく無名の日本の病院に勤めている一医師からの応募は一見無謀とも思われる行動でしたが、しかし結果は採用されました。世界の懐の大きさに感激した一瞬でした。発表のためにミュンヘンの学会場に入り名札とバックを頂き中を見るとSICOTの学会誌のなかにJBJS誌への投稿を歓迎する内容の1枚の紙が入っておりました。私が発表する会場は比較的小さな会場でしたが、やっとここまでこぎつけた満足感と失敗はできないという不安感が襲いかなり神経質になっていました。発表は聴衆から歓迎され、世界で初めてのむち打ち症の原因を明らかにした研究に対する関心の高さを感じました。

5.国際的雑誌への掲載

帰国してJBJS誌に論文を送付しましたら、一部内容の追加を求められましたが無事に採用され1989年3月号に掲載されました。このことはむち打ち症が世界的に一疾患として認識されたことを示しています。日本のマスコミもこのことを歓迎しそれまで医師の名誉を汚すような内容のテレビ番組が続いておりましたが、その年の秋からBSで深夜に「ベンケーシー」の再放送が始まりました。「ベンケーシー」は脳外科医であり患者のために全力を尽くす医師で、前回の放送ではかなりの高視聴率をとった番組でした。それに伴い医師の名誉を汚すような内容のものは消失し、翌年の4月からは医師が主人公になったまじめな番組が3本始まりました。その後むち打ち症の用語はテレビ、新聞でも普通に使われるようになり、「むち打ち症」が復活しました。論文掲載から今年で18年になりますが、むち打ち症の原因を明らかにした論文はその後出ていません。いかに他覚的に明らかにすることが難しいかを示しています。

学会場における論争

日本整形外科学会や世界最大の整形外科の学会であるSICOTに発表し、国内の医学雑誌や世界で最も権威のあるJBJS誌に掲載されても、むち打ち症患者に対する損害保険会社の偏見は変わりませんでした。そこで日本整形外科学会はパネルデスカッションにこの問題を取り上げました。

1. 日本整形外科学会「パネルデスカッション」にて

1990年に第63回日本整形外科学会は名古屋市公会堂で「頚部外傷性症候群(頚椎捻挫)」をパネルデスカッションに取り上げました。これは日本整形外科学会がこの問題を取り上げるのは実に22年ぶりのことでした。演者は各分野から5名で、うち2名がむち打ち症に対して否定的立場にあります。演者は開業医、むち打ち症に否定的な病院勤務医、大学勤務医、むち打ち症に否定的な日本賠償医学会から法医学者、中立の立場の弁護士です。この中で演者の一人は、「むち打ち症の後遺症の審査を厳しくしたところ約3兆円の利益を出すことができた。さらに自賠責保険料が高くなると車の売れ行きが悪くなり日本経済が悪化する」と発言しました。これには会場で聞いていて驚きました。車の売れゆきとむち打ち症の患者への賠償は全く関係のないことです。さらに3兆円の利益を上げるために本来支払うべき後遺症の賠償金を減額したというのです。すべての演者の発表が終わり、デスカッションが始まり私は最初に指名されフロアーから発言しました。「頚部外傷性症候群(むち打ち症)の患者に対して、他覚的所見がない、あるいは乏しいとして神経症や賠償神経症とする意見があるのは事実です。しかし私は既に1985年、1986年、第58回、59回日本整形外科学会において、脊髄造影の斜位像にて異常所見を発見し報告しました。論文でも1986年以来発表しております。すでにこの学会報告から5年も経過しております。いまだに他覚的異常所見がないとして短期間に治癒するものである、長期になれば賠償神経症であるとして、患者の人権を脅かしているのは人道上許せないと思います。JBJS誌もその100年における歴史上、昨年私の論文が載りまして、バレー・リュー症候群を一病態として認めております。(判例タイムス726:p43、1990。より)」。これに続いて多くの先生方からも、むち打ち症の患者の治療や賠償に対する不満が述べられました。これに対してむち打ち症に否定的立場をとる演者からは明確な反論はありませんでした。これらの内容は演者の弁護士の北河氏により詳細に論文として掲載されています。

2. 日本脊椎外科学会サテライトシンポジウムにて

1992年6月には神戸市で第21回日本脊椎外科学会サテライトシンポジウムとして「むち打ち損傷その病態と治療」として取り上げられました。800余名の参加者中300人近くを法医学者・弁護士・損保会社関係者、さらには警察関係者などが占めていました。(日整会広報室ニュース11号交通事故医療費の諸問題(5)1992年より)。このサテライトシンポジウムの内容はすべてビデオに撮り公開することになっていたようで、学会終了後販売を知らせる通知が私にも届きました。そのためかこの会議場に入るにはあらかじめ許可がないと入場できないシステムでした。私は申し込んでおりませんでしたので前日に担当者と交渉し特別に入場させてもらえることになりました。このことは今でも感謝しております。そしてこのことにより損害保険会社が主張する閾値理論が破れる決定的な学会となりました。当日の朝会場に着いて入場が始まるとすぐに、前日交渉した担当者の前を入場券なしに入場させてもらいました。講演が始まり、閾値理論の基礎となる「低速度車両衝突実験:車の衝突により頭・頚部にむち打ち運動は発症するか」の演題名で低速度ではむち打ち症にはならないとの内容が発表されました。この講演の内容は、日本賠償医学12:p3、1990に「低速度車両衝突実験とその医学的解析―むち打ち損傷の発症機序再考―」として掲載されており、実験時の運転席の受傷者の状態を高速度カメラで撮影しており、低速度では22例中2例9%になんらかの症状が発症したと結論付けておりました。しかしカメラで撮影された被験者のほとんどはハンドルの下の部分を持ち身構えている姿勢でした。私はあらかじめその論文を読んでおり実験の問題点をフロアーから演者に質問しました。「運転者はハンドルを教習所が指導する10時10分の位置に持つのが正式であり、ハンドルの下を持ち身構えていては円滑なハンドル操作はできない。このハンドルの持ち方は追突されることを予想し防御している姿勢であり不自然である。このようなハンドルを持っている症例は実験の成績から除外すべきであり、正式な実験と認められるのは3例でありその内の2例に発症したのであるから、3例中2例66%に発症したと結論すべきである」と発言しました。この発言に会議場の800名の聴衆に大きなどよめきが起こりました。この指摘に対して演者は反論できず、後日再実験を行うことを約束しました。この論争で低速度むち打ち実験での欺瞞は打ち破られ、低速度追突実験ではむち打ち症にならないとする「閾値理論」の根拠が崩れることになりました。

この論争の結果に大きなショックをうけた日本損害保険協会は委託して同年9月に再度、工学・医学・法学の分野から委員を構成する自己解析共同研究会を結成して低速度むち打ち実験を行いました。内容は、ボランテア72名(男56名、女16名)に衝突実験を行い、低速度では症状が出現しないという推測のもとに行われたのに反して、結果は低速度でも症状が出現することを証明することになりました。この結果、無傷限界値(閾値理論)に終止符が打たれました(検証むち打ち損傷 医・工・法学の総合的研究:ぎょうせい1999より)。これは私が第21回日本脊椎外科学会サテライトシンポジウムで発言したことがきっかけとなり世の中が大きく動いたことを示しています。

すなわち損害保険会社の主張する、(1)賠償神経症(2)閾値理論、は私の発言によって粉砕されました。

マスコミの取材

 最初の日本整形外科学会発表の後で栃木新聞(地方新聞社)の取材を受け、写真入で大きく掲載されました。1996年に全国紙である某新聞社の記者から取材を受けましたが、某整形外科教授の「マスコミに載せるのはいかがなものか」との発言で没になりました。1998年にSCOTで発表した後に再度某新聞社の記者が来て、今度は記事にするから取材させてくれ、とのことで取材を受け記者は帰りました。1週間後に全国紙の朝刊を見てびっくりしました。記事が載らない代わりに1面真っ白な紙面の一番下に小さく「日本損害保険協会」と書かれてありました。取材を受けた記事はその後も載ることはありませんでした。

現在の状況

現在むち打ち症はマスコミでも頻繁にこの用語を使用し、むち打ち症への賠償神経症というような間違った偏見も消失しました。損害保険会社は民間企業の営利事業で一般の株式会社ですから利益を追求することを目的としますので、なお患者さんとのトラブルも散見しますが以前のような強引な方法はなくなりました。

当院では現在ではむち打ち症の治療は手術をしないで治すことに成功しています。これからもむち打ち症で悩んでいる患者さんの症状改善のために努力していく所存です。

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